私の歩んだ道
(11)98豪雨 住民守る先頭に
1998年9月24日、午後から夕方にかけ凄いどしゃぶりの雨が。急いで浸水被害を受けやすい土佐山田町内の地域を調査して土のうで応急対応しました。その後小康状態の中、舟入川を調査していると突然、雨足が強くなり「雨粒の大きさが違う」と実感するほどの豪雨になりました。
妻から電話で「○○さん宅が浸水しだした。避難する」との緊急連絡。避難施設に送り届け、「眠れぬ」自然災害の怖さを体験することになりました。
秋雨前線の「湿舌」は、アメダスでは真っ赤な、まさに「舌」のように高知県を覆い、長時間居座りつづけました。土佐山田役場庁舎の雨量計から推測すると累計1000ミリ以上の雨が降ったことになります。
私は河川や地域、独居住宅をまわり、住民の安全を確認するとともに消防団と協力して、土のう積み等の浸水対策に追われました。役場庁舎の災害対策本部で一夜を過ごし、早朝から公民館等へ避難者へ炊き出しの配給にまわり、党議員団を緊急招集して「災害対策本部」を設置し被害状況の調査に入りました。
片地川が決壊し、濁流が老夫婦の家を直撃。「おとうさんお別れぞね」。二階に上がることのできなかった奥さんが逃げ遅れて帰らぬ人になりました。
現地の悲惨さを目の当たりにした議員団は、即、国会議員事務所に連絡し、いち早く春名衆議院議員(当時)に駆けつけてもらい、道路が崩壊し、電話も遮断され孤立している山間への手立てとして、山原健二郎事務所を通じてNTT高知支店と交渉し、衛星電話2台を借用して、1台を町の災害対策本部へ、もう1台を不通になっている山間地域に配置することができました。
その後も粘り強い調査をおこない、山原・春名両国会議員と連携し、土佐山田町が「激じん災害」の指定をうけるところまでこぎつけることができました。
豪雨災害の教訓をいかして河川の状況、用水路と排水路の関係を山田堰土地改良区の役員の協力で調査し、「排水対策協議会」を立ち上げることができました。土佐山田町からの排水が、結果として下流の浦戸湾に流れ込み、高潮や南海大震災などと重なれば高知市にも甚大な被害がでることを示し、橋本知事に上流での「分水処理」(排水を物部川に流す)の必要性を訴えてきました。この間、一定の分水処理が実現しましたが、香長平野の地形的、物理的な関係からも抜本的な協議と改善の必要性を感じています。
(高知民報06年6月18日付への寄稿です)
| 私の歩んだ道 |
|---|









