私の歩んだ道
(2)陸上、バンド、民青
とにかく身体を動かすことが大好きだった。中学生時代は、冬季限定のマラソン選手でした。メグロのバイクで伴走する小川先生が「前の選手を抜いたらラーメンを食べらす」。食べ物につられて走っていた気がします。
唯一泳ぎは苦手でした。もともと「山ザル」で泳ぎには縁がありません。しかし中学校ではいい格好しなければと物部川の橋の欄干から鼻に水が入らぬよう葉っぱをくわえて飛び込む特訓でやっと克服しました。台風で休校になった時に泳ぎに行って、ダムの放流で中州に取り残され、浅瀬を探して、葦の草むらめがけて必死に泳いだことは忘れられません。
私が国政に挑戦するという報道を見て、中学校の担任の先生から電話がありました。名前を見て、教え子と思い電話したとのこと。40年も前のことなのに覚えていてくれるなんてありがたいことです。
高校は東工業高校、男子校でした。高度成長時代でマメ技術者が求められた時、製図板と工作機に向き合い物造りの喜びを知りました。部活動は陸上部、毎日胃液を吐くぐらい練習が続きました。400mのインターバル・トレーニングは腰が抜ける思いでした。
3年生の後半からはクラブを終え、エレキバンドに熱中。パートはドラムでした。バンド名は今考えたらダサイのですが「弁慶」。印税がかからない金額でチケットを売って、喫茶店を借りてライブ。コンテスト出場など自己アピールの楽しさを体験しましたが、舞台ではバスドラムの足がカタカタと震えました。
部活動中心の毎日から開放された高校時代のある時、民主青年同盟の誘いをうけました。親の農業と商売の失敗から少し政治に興味があったのかもしれませんが、即座に加盟しました。自分の進むべき方向が定まらない中で、多感で好奇心の強い性格が、政治の道に踏み出す第一歩になりました。
陸上部の監督の勧めもあり、地元企業であるヤンマーグループの協和農機(現セイレイ工業)に入社しました。
(高知民報06年4月9日付への寄稿です)
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