1999年3月、「行政改革」の一環として、国立香川小児病院を国立善通寺病院に統廃合する計画が持ち上がりました。
同病院は75年に全国二つ目の小児病院として発足。以来、医師と看護士が救急車に同乗する「24時間ドクターズカー」などのとりくみで、当時、乳幼児死亡率全国ワースト1だった香川県をベスト1に改善、香川県下だけでなく四国各地の子どもを守る砦としてかけがえのない役割を果たしてきました。
小児病院には100メートルの渡り廊下で県立養護学校が併設され、医療と教育、生活が一体となって子どもたちを守り、その成長を育んできました。
その年の9月に同病院を訪れました。子どもたちの様子を見、日々向き合っている先生方のお話を聞きながら「絶対にこの病院を守らねば」と決意を固めました。
広範な県民によって「存続させる会」が結成され、またたく間に存続、充実を願う27万の署名が集りました。香川のたたかいの歴史の中でも短期間にこれだけの署名が集ったのは過去にあまり例のないことでした。
2000年2月28日、この県民の切実な願いをバックに衆議院予算委員会分科会で質問。「養護学校に来て6年間が人生の中で一番成長できた。一番大切な場所の学校と病院です。絶対に病院の統合はやめてください」という養護学校高等部の生徒の作文を示しながら、「統合は、小児病院と学校を切り離すことにつながる。やってはならない」と厳しく追及しました。
丹羽厚生大臣(当時)は、「地元住民と納得の行くよう話し合ってすすめたい」と答弁、河村国立病院部長も「入院児童の教育に支障をきたさないような方法を検討する」と言明しました。
この答弁を引き出したことによって県民の運動を激励し、さらに守る運動が大きく前進しました。その結果統廃合そのものはストップできませんでしたが、養護学校を切り離さず敷地内に併設すること、ドクターズカーなど地域医療を守ることが確認され、県民の切実な願いが基本計画に盛り込まれました。
春名なおあき
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