私は、徳島に行くたびに、母なる川、吉野川の雄大さに目を見はります。県民がこの川を愛し、自分とのかかわりでさまざまな歴史をもちながら生きていることがよくわかります。「吉野川の清流を守ることは徳島県民の心を守ること」―そんな思いが爆発したのが、可動堰(かどうぜき)計画を中止させた住民の壮大なたたかいでした。 日本共産党徳島県委員会は、住民運動をになうみなさんと誠実に共同、共産党ならではの役割を存分に発揮してたたかってきました。そのさなかに当選した私は、可動堰を中止させることが議員活動の重要な柱となりました。 何度も住民団体のみなさんと懇談し、現地を調査、国会では国土交通省や環境庁との交渉を繰り返してきました。 2000年1月、歴史的な徳島市での住民投票がおこなわれました。結果は9割にのぼる市民が「ノー」を突きつけ、明確な審判が下りました。この運動のなかで生まれた「投票に行こう」というプラスター宣伝はいまや四国各地のみならず全国に広がっています。 この投票結果を受け、ただちに志位和夫委員長が予算委員会で中止を厳しく要求。私も2月の予算委員会で、計画の白紙撤回を迫りました。 中山正暉建設大臣(当時)に「『ゼロから住民と話し合う』というのなら、来年度予算案に盛り込んだ調査費を凍結し、推進の立場をきっぱり捨てるべきだ」と迫りましたが、大臣は「投票には賛成票もある。少数意見も尊重したい」と不誠実な答弁に終始、怒りが爆発したことをいまも思い出します。 住民のたたかいと日本共産党の共同で、可動堰計画を中止に追い込んだことは歴史的快挙です。この共同は、その後の大田正県知事の誕生へと発展。今、1000億円の無駄遣いともいうべき鉄道高架と区画整理事業の中止を求める運動などへと脈々と引き継がれています。
写真―可動堰予定地を視察