11 高知の課題解決に全力

11高知10 高知県民の願いを国政に届けることこそ私の使命と考え、あらゆる機会にとりあげてきました。
 1998年10月、かつて経験したことがない集中豪雨に見舞われた高知県。ただちに翌日から現地調査と被災者救援。「ものすごい雷と集中豪雨。怖かった」と恐怖を語る県民とその不安、思いを共有してきました。
 山原さんとともに国土庁に申し入れ、数日後の委員会で「未曾有の水害 県都マヒ」の大見出しの地元紙を手に、災害救助法の適用、喪失学用品への補助、交付税措置による支援強化などを強く求めました。委員会室は静まり返りました。
 橋本知事が「非核港湾条例」制定をめざしたとき、国が「外交は国の専権事項」と横槍をいれてきました。私は、「国といえども自治体の条例制定権を犯すことはできない」「非核三原則の国是を自治体が守ろうという提起に国がくちばしをいれる筋合いはない」と委員会で追及(99年2月)、条例制定の動きを応援しました。なお横槍の急先鋒は中谷元(げん)衆議院議員でした。
 教育学部の廃止・統廃合が大きな問題になっています。高知大学教育学部もその対象になり県民の不安が爆発。「存続させる会」もつくられ、あっという間に10万人もの署名が寄せられました。運動をになっている父母のみなさんの不安もしっかり聞きました。
 県民の声をバックにした質問では、「県、市、PTAなどから広く意見を聞いて検討する」(遠山文科大臣・当時)、「プランを押し付けることはしない」(高等教育局長)との答弁を引き出しました。統廃合はいまだに実施させていません。
 南海地震対策では、津波防止ステーション機能に、江の口川もふくめて一体的運用ができるように求め、「県から要望があれば検討する」との答弁を引き出し(2003年5月)、「的を射た質問で感謝している」と県幹部からお礼が届きました。

 写真―高知の集中豪雨被害地を視察

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