予算委員会は国政全般にわたる中心問題を総理をはじめ各大臣と丁々発止やりあう場です。
私も当選の翌々年1998年から6回連続、総括質問、一般質問にたって、橋本、小渕、小泉の3人の歴代首相と直接対決、国民の怒りをぶつけてきました。
98年初頭「ノーパンしゃぶしゃぶ」で有名になった大蔵官僚と銀行幹部との癒着に国民的批判が広がりました。私は大蔵官僚が都市銀行の重要ポストに系統的に天下り、事実上指定席化している事実をつきとめ追及。
橋本首相は、提出した資料をまじまじと見て「よくこれをつくられたなと思う」と一言。実はその資料、春名室の秘書の大奮闘でつくられたものでした。党議員団の強みは、秘書と議員との固い絆にあります。
2001年2月、米原潜によって「えひめ丸」が沈没、高校生たちの尊い命が奪われました。私は佐々木泉愛媛県議(当時)とその日ただちに宇和島水産高校に直行、被災家族と学校を見舞いました。
現地に派遣された政府の政務官が、米軍発表をうのみにして「救助は適宜、適切におこなわれた」と記者発表。オフレコでは「こんなことで日米同盟が傷ついてはならない」と述べたと伝えられました。
アメリカ追随の情けない姿勢に、私は腹の底からの怒りを覚えました。
2月15日、予算委員会で「政務官の記者発表での発言を撤回せよ」と河野外務大臣を追及。事実上取り消させ、打ち切りが示唆されていた捜索を継続させました。
数カ月後、安倍晋三官房副長官(当時)に地元宇和島をはじめ愛媛県下から寄せられた8000筆の原因究明を求める署名を手渡しました。
2002年の予算委員会では、前年発表されたNTTの10万人大リストラ計画の違法、脱法行為を追及。
四国の通信労組の組合員から実情をつぶさに聞き、松山、徳島、高知支店に無謀な計画を中止せよと申し入れました。政府が半分の株を持ち、経営も優良な半官企業が、定年法や出向・配転時の労働者の同意など、法律と当然の雇用ルールを踏みにじり、「3割賃金カットで子会社へ」、「残る場合は異職種の広域配転」という理不尽な選択を迫るなど断じて許せません。いまも、裁判でたたかう労働者のその熱い思いが私の胸をかきたてます。
ちなみに他の党はこの大問題を国会でほとんど追及していません。日本共産党こそが働く者の真の味方と胸を張って言うことができます。
写真―安倍官房副長官に「えひめ丸」の原因究明を求める署名を渡す
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