07 農林水産業を守るためひたすらに

⑦真珠シンポ 2期7年間(1996年10月~2003年11月)、国会議員として走り続けてきましたが、その問の質問、論戦は243回に及びました。国会開会中、週平均1、2回の論戦を展開したことになります。
 権力の中枢との対決ですから、一回一回が真剣勝負、息が抜けません。痩せる思いで挑んできましたが、体はなかなか痩せません。
 いい質問となる秘訣は、徹底した勉強・研究と生の国民の声、実態を詳しくつかむこと。週末は四国1各地で集会、調査、懇談などに飛び回りました。
 当然のことですが家にいるときがほとんどありません。この姿をみて3人の子どもは「お父さんは世の中の役に立っているかもしれないが、家族の役にはたってない」ときつい一言。
 初質問は当選翌月の11月、農林水産委員会でした。米価の下支えのない「新食糧法」の問題点、ショウガを守るためのセーフガード発動を要請。「国民の声を届けようと選挙中に聞いた農家の声をたびたび引用し、政府の減反政策の矛盾を鋭く突いた」(「高知新聞」11月29日付)と紹介されました。
 馬路村の営林署が統廃合される方針がうちだされたとき、藤田スミ議員(当時・故人)とともに現地調査(98年8月)、ただちに国会でとりあげました。
 木造施設の経済波及効果を示し公共施設への国産材使用を強く要請、武部農水大臣(当時)は「積極的に努力する」と明言(2001年6月)しました。
 農民のたたかいと日本共産党の論戦がむすびついて史上初めてネギ、シイタケ、イグサの暫定セーフガードを発動させました(2001年4月)。
 当選直後、宇和海の真珠貝の大量へい死が起こりました。さっそく現地にとび(1996年11月)、加勢山博宇和島市議(当時)や伊勢田智津島町議(当時)などと詳しく実態を調査。党南予地区委員会は「真珠を守るシンポジウム」も開催し、再建に懸命の努力を重ねてきました。
 交渉、質問を通じ、環境の変化に強い貝の研究開発費6000万円や緊急融資を実施させることができました。
 1997年9月には久万町(現在・久万高原町)で「林業シンポジウム」を開催。河野修久万町長や猪瀬理青年林業会議所会長、梶川嘉徳愛媛大学名誉教授、篤林家など多彩なパネリストが170名もの参加者とともに山を守る道を探りました。「愛媛新聞」はこの模様を7段、写真付きで報道(9月4日)。
 ミカンを守ることに情熱を傾けた7年間でもありました。価格の大暴落で耕作放棄、経営が成り立たない重大事態が生まれた99年、実態調査を踏まえ、2000年4月に質問。「改植・高接事業への助成継続」「南予用水の負担軽減」「学校給食へのミカンの普及促進」の3つの緊急提案をおこない、改植事業の継続をかちとりました。そしてなによりも「輸入自由化こそ価格暴落の根源」と農政の転換を厳しく追及しました。

 写真―真珠シンポ

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