04 民青同盟の専従に

④民青地区事務所で憲子さんと 大学卒業を間近に控えた4年生の夏ごろ千頭満さん(元・県党副委員長)らが私の元を訪れ「春名君、大学を卒業したら民青同盟の専従になってくれないか」と言うのです。私はたまげて「冗談でしょ。私なんか無理です」と最初は拒否。しかしその後の粘り強い説得でついに観念しました。殺し文句は「教師は他の人に任せられる。しかし青年、人民の教師は誰かれとはできないよ」。
 卒業間近、親に告白するとびっくり仰天。なかなか分かってもらえなかったのですが、やろうとしていることに確信があったので「子どもを信じて」と、泣きながら許しを得ました。
 民青同盟の活動はまさに昼夜を分かたず、食うものもの食わず、という表現がぴったりでした。専従になった時は塚地佐智さん(現・県議)が高知地区委員長、私が副委員長、県委員長が金子協輔さん(現・党幡多地区委員長)、県副委員長は下本文雄さん(現・高知市議)でした。
 平和運動に全力投球。核兵器廃絶の「広島・長崎アピール署名」、核巡航ミサイルトマホークくるなの「反核アトム運動」、岩国基地包囲集会には大挙しておしかけました。地域の班が中心になり「一人ぼっちの青年労働者をなくそう」と運動会をやったり、「平和友好祭」、「高校生春・夏の講座」に取り組んだり、ありとあらゆる青年の要求に応えてがんばりました。給与がなかなか出ず貧困でしたが、心はとても豊かでした。
 仲間を増やすことを大切にしました。夜11時ごろから「青年は夜動くものだ」と意思統一。高知市大橋通のモスバーガー前や、下宿、アパートで加盟をすすめました。延々議論して夜が明けることもしばしば。
 このなかで次々と恋も生まれました。私の場合、大学卒業後の失恋の痛手からなんとか立ち直り、塚地さんのすすめでおつきあい。それが現在の妻・憲子です。彼女は当時高知市立保育園の保育士で地区常任委員。真剣に民青同盟の活動に打ち込む姿にいつしか憧れていました。結婚は26歳の冬でした。

 写真―民青の地区事務所で妻憲子と。1986年1月19日結婚。

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