高知大学教育学部小学校過程に入学したのが1978年です。
当時は瀬戸大橋もありませんし、高速道路もありません。父が運転する軽トラックに引越し荷物を積み込んで約9時間。大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)を越えるころには「えらいところにきた」と感じました。
高知市朝倉の北城山に下宿。三畳一間で机や冷蔵庫を置くと寝る場所がありません。しかたなく押入れに布団を敷いての生活です。でもなにもかもが新しく、楽しかったです。
入学式の時、並居るクラブ勧誘のテントの中から民青同盟のテントを発見。高校3年生のときは、ほとんど活動していませんでしたが、テントを見るとついふらーと近づいてしまいました。血が騒いだのでしょうか。「いっしょにがんばろう」と握手を求められ、その勢いで民青の活動に復帰。
その年の7月に日本共産党に入りました。「私の父親の世代が苦しんだ侵略戦争にその時代から体をはって反対した政党があった。この党なら信頼できる」と考えたのです。
同じクラスの仲間3人で「7月15日の党創立記念日に入ろう」と決めていたのに「早いほうがいいや」と勝手に5日に入党、あとで怒られました。
学生自治会では教育宣伝部長や委員長、2年の後期からは全学連中央執行委員も1年間努めました。
最大の思い出は、学費値上げ反対を掲げた2年連続のストライキを成功させたこと。毎年のように繰り返される値上げに「学生の学ぶ権利を侵害するな」とクラスで、授業前に大討論。毎日タテ看板やビラを書き、早朝に配布、自治会室や教室で夜を明かしてがんばりました。当日200人以上の学生がいっしょにデモに参加、感動的でした。
学生運動に明け暮れ、いつ授業に出ていたのか分かりませんが、苦手なピアノ、水泳もなんとかクリア、単位もきちんととって教員免許を取得。「戦前の大学自治の歴史」という「趣味と実益」をかねた卒論もかきあげ、「優」をもらいました。こうして晴れて高知大学を卒業することができました。
写真―学生自治会の仲間と。
残念ながら私は映ってませんが、むちゃくちゃなつかしい写真。一人一人を思いだします。学費値上げ反対スト、私らの学生時代のハイライトでしたね。