01 過疎の山村で生まれて

①小2~3のころ。岡山の実家で 私は1959年4月16日、岡山県勝田町(2005年4月から合併して美作市)という鳥取県境の山深い山村で、農協職員の父・三雄(かずお・故人)、縫製工場で働く母・幸(みゆき)のもとに生まれました。
農家の三男坊で上の兄2人とは歳も離れており、小さいときは一緒に遊ぶというより“使い走り”をやらされてばかりでした。
 私は生まれて間もなく、全身にできものができる大病を患い、生死の境をさまよいました。そのときの私を知っているご近所の方は、今でも私の顔を見ると「なおちゃん、よう生きとったな」としみじみ言われます。 母は小学生の兄を連れて、あちこちの病院をかけずりまわり、お宮で祈願。できることはなんでもしてくれたそうです。やがて完治。この時に病気の元が逃げてしまったのでしょうか、それ以来大病を患ったことはありません。家族、とりわけ母にはどんなに感謝してもしすぎることはありません。
 私は、こう見えても、小さいころは無口で人見知りする子どもでした。親せきの家に行っても何もしゃべれない。友だちはいましたが、けっして積極的に外でどんどん遊ぶわけでもない。どちらかというとおとなしい子どもでした。人はやっぱり変わるものとつくづく思います。
 ただ今でも変わっていないのは、自分で言うのも何ですが正義感が強かったことと、頼まれたらいやといえない性格です。小学校の児童会、中学校・高校の生徒会役員をやったのもこの二つの性格ゆえだったのでしょうか。中学生の時、ふざけてタバコをふかす友だちに、もじもじしながら「やめといたら」といったなりに、走り去った記憶もあります。
 この性格が日本共産党との出会いの中で、むくむくと頭をもたげていったように思います。
 父は農協職員で地域の世話役をよくしていました。母は働き者で気丈夫な性格。二人はしょっちゅう夫婦げんかをしていました。喧嘩の現場によく出くわした幼い私は「どうしよう」と泣きそうになってうろたえていたんですが、実は、これは2人の愛情表現なんだとようやく気がつきました。2人とも長生きしてほしいと心から願っています。(父は2006年に他界)

 写真―小学校2年生ごろ岡山の実家で愛猫〝ゴン〟をだいている。左は祖父とミキ君。

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