爆音におびえ しがみつく3歳の息子 米軍低空飛行頻発

高知県香美市物部町で米軍機の低空飛行が頻発。「日本共産党とくらしと福祉を守る会」議員団は12月19日、法光院晶一市長に事実関係を早急に調査し関係先に厳重に抗議するよう申し入れました。

申し入れの前日18日に、米軍機を撮影した物部町大西の西熊希民子さん(46)を訪ねて話を聞きました。西熊さんが撮影したのは15日午前10時30分ごろ、自宅向かいの山際を東から西に飛ぶ米軍機をとらえました。12月20付け赤旗参照を。

 

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“爆音におびえ しがみつく3歳の息子 米軍低空飛行頻発” への1件のフィードバック

  1. 龍馬ぜよ!(西岡香) より:

    私は1945年5月24日高知市播磨屋町で母が宿毛に帰る途中に産まれたそうです。[知らない家で]母の実家宿毛市芳奈で「0才~6才」育ち、母の勤務の為「小1~中3」まで、宿毛市橋上町橋上で育ちました。高校は高知学園工高校電気通信科で「当時は4年間ありました、先輩と私達2クラス、機械2クラス、化学1クラス」私立高専に哉やがて国立高専に移行しました。勉強嫌いな私は残り(10人ほど、3年の初め高専に行った)高校野球の選抜大会で優勝しました。相手は山口県早とも高校。ロッテオリオンズの有藤三塁手、監督、当時は1。三野{主将}3、岡本6数字は守るところ。有藤、三野が先行バッターで死球で入院して後のメンバーでの優勝です。あの人たちと同級生です。私も中学では野球でソデ地ましたので言ったら100人ほど1年生がおり、こりゃだめだと思い辞めました、足が遅かったんです、長距離では負けなかったんですが、、、。就職は東大阪のねじを作る会社でした。母方の従兄弟が17才で入党していました「高校の時」、民商「印刷屋」。1年4ヶ月でやめ、20才の時、大阪市住之江区のK鉄工所電気課補修班に入社して、先輩達と共に22才の時に入党して職場は民社党一党支持の「西村昭三委員長が伯父、「元」西村何とか次世代の党で落選した甥っ子です、春日一幸委員長」達が組合の集会によく来ていました。55才で早期退職しました。30才でB型肝炎にかかり死にかけ(どこの病院に)言っても死ぬだろうと言われました。職場の先輩宮崎県北部地区委員長と中学校時代の音楽教師が断食しか助からないと言い、それに賭けてみようと思い、淡路島の洲本市五色町の県立病院に入院して命を助けられました。2回行きました。★因みに土佐清水市三崎の父の実家の傍には「100メータ―離れています」、故上田紘一郎副委員長、不破哲三元議長の実家があります。私は35才の時全国軟式野球連盟の審判員の免許を取り、小、中学生審判をしたりプレーも、まだまだ60歳以上の試合にも出ています。47年党員です。21人の衆議院議員おめでとうございます。浜川さん、2人の選挙区当選には至りませんでしたが、高知の親戚、知人、友人、同級生には声をかけました。大阪府内の知人友人はもちろんです。大阪3区は公明にはあと20・000票でしたか。共にがんばりましょう。

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