
7月1日、高知市一宮で開かれた「つどい」で自宅を提供してくれた市川昌さん(83歳)が富山丸事件を静かに語りました。
「鹿児島海軍航空隊の一員として訓練を受けていた時に、鹿児島港を出航し、沖縄戦に向かう富山丸を手を振って見送った。この輸送船には私を可愛がってくれていたいとこの市川泰策さん(当時37歳)も乗っていた。畳2畳に軍装備のまま11人が缶詰状態で座らされ、身動きができない。ガソリン入りのドラム缶1500本も積んでいた。爆発で真っ二つに引き裂かれ炎上した富山丸と共に海に沈み、今も徳之島沖のサンゴ礁に骨が眠っている」と。
「富山丸」は1944年6月29日の早朝、鹿児島県徳之島沖で米潜水艦の放った3発の魚雷で約3700人(高知県出身者400人以上)もの犠牲者を出した戦争の悲劇。その事実は、あまりにも大きな犠牲者だったために、当時、大本営によって隠され、65年間ベールに包まれたままでした。
市川さんは、一年以上もかけて調査して明らかになった事実を、イラストや折り紙で再現して、いとこの死と向き合い、「事実を風化させてはならない。今の自公政権や民主党は危険な戦争への国づくりを競い合っている」と鋭く批判します。
7月4日、四万十市で大西正祐・日本共産党幡多地区委員長著「二人の特攻隊員」の出版記念パーティが開かれ出席しました。
高知県では特攻隊で戦死した者は52名いるといわれていますが、その中の中村高校出身者2人について、綿密な調査と証言にもとづいてつづられたノンフィクション。
19歳、20歳という若さでなぜ死ななければならなかったのか。大西さんの感性と鋭い視点にもとづく告発には胸を打たれ、富山丸とも重なりあって命が震えます。
5日、内子町で農業シンポジウム。パネラーに町長や農協組合長などとともに日本共産党の農漁民局長が参加するという画期的な企画と内容。党への期待の大きさを感じました。
(高知民報09年07月12日付への寄稿です)









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