2008年7月20日(日曜日)
[ まるの多事雑感 ] 笹岡優

弘法大師の教え

霊山寺住職との懇談を終えて
 
弘法大師の霊場、四国八十八カ所を巡った方はたくさんおられると思います。全国からも大勢の方が遍路道を歩いています。その一番札所・霊山(りょうぜん)寺の住職、芳村超全(ちょうぜん)和尚さんと7月9日、お会いする機会を得ることができ、1時間半くらい、心に残るお話しを伺うことができました。
 
「耕作されていない遊休農地を広く国民が買ったり借りたりして農業に従事することができない仕組みはおかしい」と現在の農政に対する問題を提起。
 
12年前、故山原健二郎さんと対談した時のことを振り返り、「山原さんから『沖縄は農民でなくても契約農耕ができる』という面白い話を聞いた」と懐かしそうに語ります。
 
話が弾み、和尚さんの子どもころの思い出が話題に――寺の住職、7人兄弟の長男として生まれ、中学生のときの戦争体験が平和を願う原点に。
 
父親が中風で倒れたときは大学経済学部の学生だった。苦悩の中でふだんの自分自身を静かに見つめてみて、もう一人の自分に気づき、われに戻って、弘法大師の教えが胸に響き仏教の世界に入った。
 
多感な少年時代は食料難。近所の宮司さんの息子と一緒に魚を獲ろうということで当時、上陸用舟艇を引き込む隧道を掘っていた現場のダイナマイトを少し拝借して、川の堰で爆発させたのですが小魚一匹のみ、すでにほかの人が獲ったあとだったとのエピソードも。
 
人間性あふれる語りに引き込まれます。
 
1990年8月6日から広島の原爆の灯を守り続けています。「平和の灯」として、後世に受け継ぎ高野山の「貧女の灯」とも重ね合せたいとのお話も。
 
「仏の教えの究極は『世界平和』『9条を守ることを中心に行動することが大事』」との言葉の中に深い「哲学・教え」を感じました。
 
竺和山霊山寺が正式な名称で、重厚な仁王門には「竺和山」と。釈迦の「天竺」と「倭」の国の「和」になったのでしょうか。「和尚」と言う言葉の由来など仏教の教えとその歴史の深みに興味が沸きます。

     (高知民報08年07月20日付への寄稿です)


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