愛媛県松山市で元県会議員の中川悦良さんから戦前のたたかいについて詳しくお聞きすることができました。
松山市は文化の町、夏目漱石の「坊っちやん」や正岡子規、司馬遼太郎の「坂の上の雲」など有名ですが、党の「礎(いしずえ)」を創(つく)った岩田義道や激動の時代を卓越した指導力で今日の共産党を導いてきた故宮本顕治元議長などすばらしい先達者を送り出しています。
旧制松山高等学校を舞台にした「ストライキ」は、高圧的な橋本校長の辞職を勧告するもので500人の学生が参加し、そしてついに1927年(昭和2)の6月大規模な生徒大会によって転出を余儀なくさせています。
その大会を議長としてリードしたのが宮本さんとお聞きし、熱血盛んな学生時代にわくわくするようなたたかいに情熱を傾けた姿が伝わってきます。「私の知的青春は、松山で開いた。松山のいろんな人たち――これらは、第二の故郷となった松山時代を、豊かに彩ってくれる群像となっている。」と自らの「松山断想」で回想しています。
その松山市が四国最大の51万人の都市になりました。しかし今、伝統と文化の香る街を新自由主義の「民営化万能論」の嵐が吹き荒れています。
国の悪政に従順な中村市政は、保育園、学校給食など次々民営化するため強引な手法で進めています。
「食育」がさけばれている今日、家庭では子どもの健やかな成長を願い、やり繰り算段をして必死に支えているのに、成長期の子どもたちの命を大切にしない政治は、長い歴史と伝統、人々の営みと文化を根こそぎ破壊してきています。
つちかってきたたたかいの伝統をいかし、政府が推し進めている「構造改革」の悪政をはね返す大きなたたかいを起こしていこうではありませんか。
(赤旗2007年10月26日付「こんにちは笹岡優です」への寄稿です)









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